2024年6月7日。朝から京橋の街が賑わっていました。6月17日までの11日間にわたり開催される日枝神社「山王祭」の初日を迎えたからです。

山王祭は、江戸時代の三代将軍家光公以来、江戸城に入御する神輿を拝礼する「天下祭」として盛大をきわめ、京都の祇園祭・大阪の天神祭と共に日本三大祭に数えられています。また、江戸三大祭りの一つでもあり、例年6月に開催されます。氏子が巡行する「神幸祭」をはじめ、町内での神輿渡御や稚児行列、里神楽、茶席など約10日間にわたり行事が行われる、盛大なお祭りです。

行事の一つである神幸祭は、隔年で行われています。神幸祭とは、神霊が宿った神体や依り代などを神輿に移して、氏子地域内を巡行する祭礼のこと。総勢500人の王朝装束をまとった人々が、御鳳輦(ごほうれん:天皇の行幸に用いられた乗り物)、宮神輿、山車とともに300m以上の大行列となって街を練り歩きます。朝の8時前に日枝神社を出発し、皇居を参拝してから丸ビルへ、摂社である日本橋日枝神社、京橋、銀座を経て、再び日枝神社へと戻る、実に9時間に渡る巡行です。

オフィスワーカーや観光客が行き交う午後3時頃、中央通りにはその神幸祭を一目見ようと、カメラを構えた大勢のギャラリーが待ち構えています。何も知らずに通りかかった外国人観光客は、その華やかな姿に驚嘆の声をあげ、熱心に写真撮影。笛や太鼓の音が鳴り響く中で、街全体のワクワク感が徐々に高まってきました。

そのころ京橋エドグランには、2基の神輿が並びました。3日間続く町内での神輿渡御のうち、そのスタートを飾る宵宮渡御(前夜祭)がここからスタートするのです。

昼の暑さがおさまり、涼しい風が肌に心地よく感じられる夕方6時すぎ。半纏姿の人たちが続々と京橋エドグランに集結してきました。京橋はじめ会 会長の林登美雄さんのご挨拶、そして木遣と一本締めの後に、いよいよ渡御がはじまります。

今夜ここから渡御をする神輿は、京橋三丁目と京橋二丁目西町会の2基。本日の宵宮渡御は、地元住民だけでなく、京橋で働くオフィスワーカーたちも担ぎ手になります。オフィスワーカーのみなさんを対象に、事前に勉強会も行われました。準備万端でこの日を待ち望んでいたみなさんは、普段は着ることのない祭衣装を身に着けてワクワクが隠せない!そんな表情です。

さて、いよいよ神輿は京橋エドグランを出発し、中央通りを左折。明治屋の前を通り、日本橋方面へと進みます。交通量の多い片側2車線の中央通りのうち、1車線を交通規制しての渡御。周辺の歩道にはギャラリーが立ち並び、通り過ぎる車やオフィスビルの窓、店舗の店先からも神輿を眺める人の姿があります。

担ぎ手たちの「セイヤー!セイヤー!」の掛け声が、街に響き渡ります。まだ明るさの残る夕方の京橋に、鮮やかな青い半纏がよく映え、街を彩ります。神輿のまわりにはギャラリーが取り巻き、徐々にテンションが上ってきました!

日本橋三丁目交差点に差し掛かると、アーティゾン美術館前をUターンし、銀座方面へ。

途中、神酒所では神輿を下ろし、ビールやジュースを片手に一休みです。この頃になるとすっかり日も暮れて肌寒さを感じるほどでしたが、担ぎ手たちの額にはびっしりと汗が。「疲れたねー」「腕が痛い!」という声がそこかしこから聞こえてきました。

一時の休憩を終え、神輿は再び動き出します。途中、信号待ちをしながらも鍛冶橋通りの交差点を超え、銀座通り口交差点で再びUターン。東京スクエアガーデンの前を通り過ぎたら、ゴールの京橋エドグランはすぐそこ。ラストスパートとばかりに、セイヤー!の掛け声にも一層力がこもります。

スタートから約1時間30分。再び神輿は京橋エドグランに戻ってきました。ギャラリーからは、拍手が沸き起こります。神輿を下ろして、思わずハイタッチ。担ぎ手のみなさんはさすがに疲れた表情でしたが、それでも笑顔がこぼれます。最後に再び木遣と一本締めを行い、宵宮渡御は終了!

山王祭の神輿渡御は隔年で行われていますが、コロナ禍のため中止が相次ぎ、今回が実に6年ぶりの開催となります。だからこその、熱い盛り上がりと街の一体感。こうしてまた一つ、歴史がつながりました。オフィスワーカーの方には、6年前の渡御を経験していない、初参加の方も見られました。それでも、地元住民のみなさんと交わり、一体となって神輿を担ぐこの行事が、京橋の街の懐の深さ、豊かさを象徴しているように感じられました。

「お神輿は重い!疲れた!でも楽しかった」「2年後も絶対に担ぎたい」と口々に語るオフィスワーカーのみなさんにとっても、貴重な経験になったのではないでしょうか。

次回は、京橋タイムズ記者もぜひ担ぎ手に参加したい…と思わせられた、山王祭宵宮渡御の夜でした。

担ぎ手のみなさん、そして準備にあたられたみなさん、本当にお疲れ様でした!