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山王祭レポートvol.2 見どころを総まとめ

2016.08.20 イベント情報

2年に1度の赤坂・日枝神社の山王祭が、今年開催されました。期間は6月7日から17日までの10日間、この間に様々な神事が行われます。山王祭は、江戸幕府の“御用祭”でした。江戸三大祭(神田祭、深川祭)の筆頭であり全国的にも有名なお祭です。京都の祇園祭、大阪の天満祭とともに、日本三大祭りのひとつと称されており、見どころも満載。そこで今回は、祭りの華ともいえるシーンをハイライトでご紹介します。

6月11日(土)30年ぶりに復活した京橋二丁目西地区の神輿が宮入

宮入とは、氏子たちのそれぞれの地域から出た町神輿が、男坂下に集合。ここを出発して、日枝神社男坂を駆け上がり、お宮(日枝神社境内)に入ることを言います。ちなみに、日枝神社の男坂は、足がすくむほどの急勾配。石段はなんと52段もあり、御神輿を担いで駆け上がる姿は圧巻でした。

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清水谷公園から京橋の町神輿が到着。ブルーの半纏も目に鮮やか。

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日枝神社本社前に町神輿が到着。

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好天に恵まれた境内には、人、人、人の波。

6月11日京橋連合渡御出発!

6月11日(土)、宮入の興奮も冷めやらぬ中、17時に担ぎ手たちは昭和通り沿いの清水建設本社に集合。ここで出発式を行い、町神輿を担いで19時に大根河岸公園に到着します。

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江戸町火消しの各組の組頭が揃って「木遣り」を披露。

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半纏に染め抜かれた京橋貮(旧字体)の墨痕鮮やか。

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大根河岸公園に到着し、一本締めにて京橋連合渡御はお開き。

6月12日町内渡御、下町連合渡御

地域の祭りとして、江戸時代には山車が、明治時代からは町神輿が住民たちを担ぎとして巡幸し祭りを盛り上げていました。しかし、近年では都市化による住民の減少で、神輿の担ぎ手や祭りの準備・運営を担う人材の確保が難しくなってきています。そこで、近年、日本橋、京橋、茅場町、八丁堀などの氏子たちが協力して山王祭を盛り上げようと始まったのが、「下町連合渡御」(したまちれんごうとぎょ)です。下町の各町会が協力し合い神輿を巡行する取組が始まりました。中央通りを15基の神輿が巡幸する様子は圧巻です。
各町会の担ぎ手たちは午前中に各々の町会を巡行した後、午後には東京スクエアガーデン付近に集合し、中央通りを京橋から日本橋まで巡幸します。特に日本橋と高島屋では神輿を高く持ち上げる「差し上げ」が行われ、クライマックスを迎えます。
今回の山王祭の見どころのもう一つは、山車『石橋』(しゃっきょう)の里帰り。江戸後期に制作され、明治12年(1879年)に、旧町名の上槇町(八重洲一丁目)から千葉県佐倉市横町に譲られた山車が再び帰って来たのです。
山車中央のおだまきと呼ばれる器具を回すと、人形とやぐらが上下に動く構造が特徴的な江戸型の山車。『石橋』というのは、能の演目名です。獅子の顔をした能面をつけ、豪壮な舞で知られています。この緊迫感と迫力を兼ね備えた舞台をそのまま表現した、江戸の人形師の技を感じる山車が、最前列に。
およそ150年ぶりに京橋に戻ってきた山車の上に鎮座する獅子から今の京橋はどう映ったのでしょうか。想像すると熱い想いがこみ上げてきます。江戸から戦災を経て新しく生まれ変わった京橋を見て、街並みは変われど、今も変わらず日本の中心として賑わう京橋をきっと誇らしく感じているだろうと思います。

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この日も晴天に恵まれ、下町連合渡御スタート。

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観光客も多く新しい御神輿を一目見ようと、訪れた観光客で賑わう中央通り。

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木頭が神輿を指揮。白の法被が初夏の日差しにまぶしい。

山王祭レポートvol.1  京橋の熱い一日と町神輿の復活

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