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“いつも いちばん いいものを”
日本に新しい価値を伝え続けてきた「明治屋」
2015.10.21 jimotoKigyo
“京橋の顔”は、昭和初期の最先端ビル
明治屋が京橋に「東京明治屋ビル」(その後、「明治屋京橋ビル」に改称)を建てたのは、昭和8(1933)年のことでした。当時、欧米視察から帰った磯野長蔵社長は、建設計画のあったビルの建築様式や設備などについて「欧米の先進的な建築を取り入れたものにしよう」と腹案を固めたそうです。設計は、当時、近代建築の建設で最も実績があった曾根・中條建築事務所。ビル建設には相当の資金を投じ、イタリア・ルネサンス様式による格式あるデザインの美しい建築が、京橋に誕生しました。関東大震災を経た後ということもあり、当時の最高水準の耐震技術が採用されていたことからも、その先進性を伺い知ることができます。
明治屋の常務取締役 横山壽夫さんは、「私どもの『いつも いちばん いいものを』というポリシーが、ビル建設にも発揮されたのであろうと思います」と、語ります。
こうして建てられた明治屋京橋ビルは、地下2階地上8階建てで、本社や店舗、レストラン、宴会場などが入りました。さらに、銀座線の京橋駅はビルの地下1階と直結。実は、ビルの地下を地下鉄の改札口と一体化した建物として竣工したのは、東京明治屋ビルが日本で初めてでした。常に最先端の“いいもの”を取り入れる姿勢は、京橋の顔ともなったこのビルの誕生からも伺い知ることができます。
「今回、京橋二丁目西地区の再開発による明治屋京橋ビル自体のリニューアルに際しましては、最新の免震設備を導入するなど安全性を担保しつつ、外観のクラシックな意匠を極力残すことに努めました。
明治屋京橋ビルは、近代建築史上、貴重なイタリア・ルネサンス様式の建造物として、平成21(2009)年に中央区の有形文化財に指定された“京橋の財産”です。文化財としての建造物を復元する場合、できるだけ建設当時の姿に戻すというのが原則ですから、このビルもその点を一番に考えてリニューアルを行いました。
幸いにして、建設当時の素材や装飾が比較的良い状態で残っていましたので、昭和初期のモダンな味わいを残したリニューアルができたと思っております。」(横山さん)
戦後の混乱期にも“欧米の玄関口”であり続けた
建設から10年あまり、時は太平洋戦争末期。明治屋にも東京大空襲の戦火が忍び寄っていました。昭和20(1945)年5月25日夜の大空襲では、京橋一帯が焼け野原と化す中、明治屋京橋ビルは奇跡的に残ります。
また、終戦直後、京橋近辺で焼け残った数少ないビルは軒並み進駐軍に接収されてしまいますが、幸いにして、明治屋京橋ビルは接収を免れました。それも、明治屋がもともと、舶来品を扱う店舗であったことが遠因になりました。
「この京橋のビルを拠点に、私共は在日外国人に食料品を供給する『外人特別配給』という業務を担うこととなりました。さらに、昭和23(1948)年からは、京橋ビル内の店舗が、在日連合国民間人向けに食料品等を販売する『OSS(オーバーシーズ・サプライ・ストア)』に変わってしまいました。
西洋の食材を長年扱ってきた実績と信用が評価されてこうした業務を受託できたのですが、京橋の店が一時期、西洋人専用のストアーになってしまったわけで、複雑な思いの残る明治屋ビルの歴史の一コマです」(横山さん)
一方、京橋ストアーの華やかな記憶としては、昭和44(1969)年、イギリス王室マーガレット王女と夫君スノードン卿の来店は大きな話題となりました。この年、東京では英国商務省主催の「英国フェア」が開催され、明治屋も含めた都内の5つのストアーが参加していました。
「全体ではデパートも含めて280以上の店が参加した中で、マーガレット王女が京橋ストアーを訪れてくださったのは、たいへんに光栄なことでありました。創業者の留学という明治13(1880)年以来のイギリスとの深いつながりと、洋酒、特にスコッチ・ウィスキーを中心に、多くの英国産の食品と酒類を輸入し、国内に紹介してきた実績が、認められたのだと思います」(横山さん)
フロンティア精神が受け継ぎ、“日本初”の食文化を発信
欧米文化の入り口として役割を果たしてきた明治屋は、数多くの“日本初”を行ってきた革新的な店舗でもありました。
日本で初めて瓶ビールの全国販売を手掛け、キリンビールの基礎を築いたのも明治屋でした。また、防腐剤を添加せずに、瓶入りの日本酒(月桂冠)を販売したのも、明治屋が日本で初めてでした。そのどちらも、「日本の食文化をより豊かなものにしたい」という思いと、「新しいことに挑戦しよう」という自由な社風が実現した快挙だといえるでしょう。
「瓶ビールの全国販売は、創業者、磯野計がイギリスで親しんだパブの文化やビールのおいしさを日本の消費者に知ってもらいたいと考えて、取り組んだのでしょう。日本酒を瓶に入れて販売したのも、お酒の樽詰めには防腐剤を使いますが、防腐剤を使わないでお酒を売ることに挑戦した結果でした」(横山さん)
こうしたフロンティア精神は脈々と受け継がれ、明治屋は、新しい食文化やこれまでになかった楽しさを発信し続けてきました。「ボルドーワイン」や「ウスターソース」を日本に紹介したのも、ワインに合う様々な食材を紹介してきたのも明治屋でした。昭和30年代には、日本の食文化の欧米化が進む中「Myブランド」商品の製造を開始し、ジャムや缶詰など日本の食卓のバリエーションを広げていくことに貢献をしました。
また、クリスマスツリーを店内に飾ったのも、食品チェーンストアを展開したのも、“日本で初めて”は明治屋でした。それは、単に品質の良いものを提供するだけでなく、ショッピングの楽しさや便利さも大切に考えてきた姿勢の表れだったといえます。
明治屋が海外から輸入していたのは、単に「もの」だけではありませんでした。食文化という「カルチャー」。そして、食文化を中心にした「価値観=ライフスタイル」を日本に紹介する、文化的な接点であり続けてきたのです。
たくさんの夢を詰め込んだ、キラリと輝く店であり続けたい
明治屋創業130周年にあたる今年(2015年)、たくさんの歴史を刻んできた「明治屋京橋ビル」と「明治屋京橋ストアー」が、新装オープンとなりました。
「京橋ストアーの場合、“明治屋と言えば、輸入品”というイメージが強いこともあり、舶来品や珍しい品物をお求めになるお客様が多くいらっしゃいます。そうした古くから京橋ストアーを贔屓にしてくださり、わざわざ京橋まで足を運んでくださるお客様のご希望に応えていかなければなりませんし、その一方で、京橋という町に魅かれて新たに訪ねて来てくださるお客様にも楽しんでいただける店を目指しました。
店内は明るくきれいにリフレッシュされ、従来扱っていた商品はこれまで通り置いてございますし、それに加えて、ワインなど明治屋の強みが生かせるところは新しい商品を入れ、特に充実をさせました。また、これから、京橋で働く人が飛躍的に増えていくときに、そういった方々のご要望にも応えていかなくてはならないと考えております。
ご承知の通り、京橋ストアーは、大規模なスーパーマーケットではありません。限られたスペースの中にたくさんの夢を詰め込み、ショッピングを楽しんでいただける、小さな宝箱のようなキラリと輝く店であり続けたいと思っています。
これまで、明治屋は、このクラシカルなビルと共に“京橋の顔”でした。それは、私たちのプライドでもありました。京橋の町が生まれ変わろうとしている今、“新たな京橋の顔”としてあらためて皆様に認めていただけ、京橋の賑わいに多少なりとも貢献できるよう、力を尽くしてまいります」(横山さん)
INFORMATION
名称 | 明治屋京橋ストアー |
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住所 | 東京都中央区京橋2-2-8 |
電話番号 | 03-3271-1134 |
営業時間 | 10:00~21:00 |
定休日 | 無 |
カード | VISA、MASTER、AMEX、Diners |
Webサイト | http://www.meidi-ya-store.com/ |
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