インタビュー
今の自分は「京橋で育ったからこそ」
株式会社トーイズ代表取締役
横浜ブリキのおもちゃ博物館館長:北原照久
2015.10.02
幼少期、身近に見た眩い世界
京橋で生まれ育ったから、今の私があると思っています。僕が生まれたのは昭和23年で、まだまだ日本は貧しい時代でした。それなのに、京橋には豊かさの象徴ともいえる『明治屋』がありました。
1階には舶来品の洋酒や缶詰などの高級食材。当時、まだ珍しかったバナナやパイナップル、グレープフルーツが光り輝いていましたね。そして2階にはアメリカの文房具や生活雑貨。明治屋には当時の日本の憧れがギュッと詰まっていました。僕だけでなく、多くの人がそこにいるだけで心がときめいていく場所だったと思います。テレビドラマ『パパはなんでも知っている』とか『奥様は魔女』のイメージ通り、50~60年代当時のアメリカンカルチャーは輝いていました。僕は明治屋さんと同じ町内だったこともあって、よく遊びに行っていたんですよ。
憧れのものを手にする喜びを知ったとき
僕はその明治屋さんで、あるモノと記念すべき出会いをします。それは、中学校1年生の頃、忘れもしない1961年のこと。明治屋の2階でパーカーのエメラルドグリーンの万年筆に一目ぼれしたのです。当時の価格で1万5千円でしたが、魂の奥底から欲しくなりました。これは、大卒の初任給とほぼ同額の万年筆ですから、生半可なことでは手に入らない。そこで、僕は絶対に手に入れるべく実家(スポーツ用品店)の手伝をして、お金を貯めました。1年間、欲しいものもすべて我慢してやっと手に入れた時の感動は、映画のように今も鮮やかに心に焼き付いています。
アンティークに目覚めたきっかけ
ほかにも、京橋には当時から骨董品屋さん、アンティークショップも多く、僕はそういうお店に入っては、珍しいものを見せてもらっていたんです。なかでも『古典屋』というお店によく遊びに行っていたのですが、レコードが文字盤になった時計、目玉時計、美術品、工芸品etc.…京橋の人は懐が深いですから、子ども時代の僕にさまざまな文化を教えてくれました。結果的に”ほんものを見る目”を育ててくれた。それがあったから、今の僕があります。そんな京橋の街に少しでも恩返ししたいという気持ちから、僕は”GNO”(義理、人情、恩返し)をいつでも大切にするようになったんです。
五感で感じられる街、京橋
今でも京橋に帰ってくる度に、ほっこりした気持ちになります。京橋は東京駅から徒歩圏内、都営浅草線などの路線を使うこともできますが、やはり京橋と言ったら「銀座線」。
僕にとって銀座線は特別で、独特の匂いがある気がするんです。浅いところを走っているからなのかな?あの匂いを感じると”ああ、故郷の京橋に帰ってきたな”と思います。
街を五感で感じる、というのも面白いですよね。そこで、耳から感じる京橋といえば、『ブルー・カナリア』。1953年に美人歌手・ダイナ・ショア(米)が歌って大ヒットした曲です。実家の喫茶店『京橋園』でもよくかけていました。フランク永井さん、松尾和子さんなど、僕はムード歌謡にも詳しいのですが、喫茶店を手伝いながらたくさんの音楽に触れていたからでしょうね。
京橋の味は、やはり明治屋地下1階にあった洋食店『京橋モルチェ』でしょう。”舶来”という言葉がふさわしい雰囲気の中でいただく、目玉焼きが乗ったハンバーグ、ビーフカツレツなどは格別でした。
作曲家・浜圭介さんも京橋在住期があった。北原さんだけが知る、京橋の歴史
音楽といえば、僕が18歳から20歳くらいのときに、内山田洋とクールファイブの『そして神戸』、三善英史の『雨』、奥村チヨの『終着駅』などで知られる作曲家の浜圭介さんが、僕の実家に住んでいたんですよ。年齢も近かったので、ギターを弾きながら音楽の話をしましたね。浜さんはそのとき、苦しんで努力していました。名曲の中には、京橋で構想を固めた曲もあります。当時、浜さんは作曲家として全く無名。ふたりでギターを弾きながら、「テルちゃん 絶対オレ作曲家になる」と語っていました。先日、作曲家生活50年を迎えられ、パーティが行われてお目にかかったのですが、私たちの胸に去来するのは、あの京橋での熱い青春の日々です。
時代の空気感を感じる京橋の街
京橋は伝統を残しながら革新的であり、義理と人情に厚い街。表通りは現代的ですが、少し裏道に入ってみると、江戸、明治、大正、昭和……さまざまな時代の痕跡がかすかに残っています。歌川(安藤)広重住居跡、江戸歌舞伎発祥の地、などの石碑もあります。そんな京橋に、2016年秋、再開発によって新たな施設が誕生するそうです。京橋の魅力を受け継ぎながら、新たな賑わいが生まれるまちづくりを行っていくようで、非常に楽しみにしています。ぜひ皆さんもお散歩がてら訪ねてみてください。東京駅も徒歩圏内で、銀座線もあって便利だから、つい銀座や日本橋を目指してしまうけど、一度銀座線から京橋の街に上がってみてください。時代の空気感の違いを感じるはずですよ。
PROFILE
- 株式会社トーイズ代表取締役
横浜ブリキのおもちゃ博物館館長:北原照久 - 1948年東京・京橋生まれ。青山学院大学卒業。ブリキのおもちゃコレクターの第一人者として世界的に知られている。骨董品店が多い京橋で、幼少期よりアンティークに親しむ。1986年4月、横浜山手に「ブリキのおもちゃ博物館」を開館。現在、テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に鑑定士として出演中。
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